2009/11/11

うぴー的ジブリ考

この項で書かれている【うぴー的ジブリ考】カナリ断定的な論調で書かれていますが、あくまでも【うぴー的】であり個人の主観で書かれています、ご了承ください。
旧い記事を移行してあります。所々旧記事然とした所がありますが細かく校正してありませんのであしからず・・・・

うぴー的ジブリ考:2004版

大分前に別ページ構成で「ジブリ:作品別考察」をやった事がある(既に消滅、希望があれば最UP!データ残ってたかなぁ?)が今回は作品別にツッコミはしない(そりゃ多少はしますが)で『スタジオジブリ』について!と言うか多分『宮崎駿』考察になると予想される・・・・(この文章書いてる時点でまだまとまってないので・・・)

ハテサテ、ジブリ宮崎作品である。ここで言う宮崎作品とは「監督」をした作品である、制作やらプロデューサーと言ったらジブリ作品殆んどになってしまうので、あしからず。

うぴーのランキングではダントツで「天空の城ラピュタ」がトップ、次いで「風の谷のナウシカ」(厳密には製作当初はジブリ製作ではないらしい、モチロン今の版権はジブリにあるが)更に引き離されて「となりのトトロ」で、ぐ~んと離れて「魔女の宅急便」同列最下位で「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、圏外で「紅の豚」と言う順位になる。スペースを使って悪いが、判りやすく書くと

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天空の城ラピュタ

風の谷のナウシカ


となりのトトロ





魔女の宅急便
















もののけ姫/千と千尋の神隠し

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紅の豚

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となる・・・(汗

異論反論多々あろうが、そうなんだからしょうがない(あくまでもうぴーのランキングですから)
とろあえず圏外の「紅の豚」だけ説明しておこう、この作品は映画?ではありません。いいとか悪いとかじゃなくて宮崎さんが好きなモノを好きに作った作品(確か本人もそんな事をどこかで言った筈)、如何せんそれでは商業的にマズイだろうと思ったか釘を刺されたか?取って付けたようなストーリーを後付けしたもの、なので物語には深みも何も無く起承転結すら無い(あるように見えます?でも、無いんですねぇ)宮崎さんはタダ只、あのプロペラ?ジェット?複葉機の飛んでるシーンを延々と撮りたかったようです。コレは親が自分の子を撮ったビデオテープを頼まれもしないのに延々と見せ続けられるのと同じです、只ね、そりゃ、かの宮崎駿ですから、編集技術も演出技術もある!無編集のダラダラビデオよりはマトモなだけ!ジブリ集団としての技術もありますから画もキレイ、そんなところでしょうか?しかも悪い事に?「ジブリブランド」で売ってしまったから・・・・・・・
作品自体は悪い訳ではありません、うぴー的には本当の本当に宮崎さんが作りたかった『飛行機の飛ぶシーンを延々と流しているだけ』をノーブランドで見せてくれたら結構ツボにハマる作品です。うぴー的にはこの作品を映画として認めていないのでランク外と言う意味ではなく「圏外:対象外」なんです。(既に長文・・・どうしよう;)

では、(やっとだ・・・)
お気付きだろうか?上記のうぴーのランキング、ラピュタとナウシカの順序以外は見事に製作(公開)順なのである。
物凄い乱暴に総括をすれば【奢り高ぶったか宮崎駿】なのである!

(一応)第1作目のナウシカはよく出来ている、丁寧に作りこまれ脚本も演出も出色の出来である。皆さんは原作を読んだことがおありだろうか?映画のナウシカは原作のホンの導入部でしかないのだ!それを見事に1話完結(って言うのか?)で〆ている。自然寵愛のテーマもこの当時としては斬新な表現?で厭味が無い、ナウシカは文句のつけ様が無い秀作である。

続いての「天空の城ラピュタ」これはもう総天然色娯楽大作!テンコモリのアクションと巧みなストーリー(まぁ、ストーリーはベタだが)魅力的なキャラと世界観の構築力、お決まりの自然寵愛も厭味が無く(・・・クライマックスのシータの説教はチト力みすぎだが)もう観客を喜ばせる事必至!うぴー的には120点満点の作品!

さて、ココからだ・・・・
「となりのトトロ」コレもいいです。でもね、正直言って初見の時にはヨさが判りませんでした、興行的にも同時上映の「火垂るの墓」がメインを張っていましたからどうしてもオマケ感が拭えなかったし、そういった先入観で観てしまうとやはり・・・・・
コレは単品ロードショーをしてくれていれば順位は変わらずとも「ナウシカ」に僅差で続く第3位になったであろう、第一印象がお粗末だっただけの上記ランキング、だったら素直にもっと僅差でもいいじゃん!って思う?いやいや、先入観を拭い去るほどの出来であったら「ナウシカ」をも抜いたかも知れないのだ、先入観無しだったとしても「ナウシカ」は抜けなかったであろうが・・・(矛盾してる?)
何度かアチコチで言っているのだが「トトロ」は子供向けの映画ではない。全体を彩るカラーは確かに子供向けであるし、確かに子供にもウケがいい、自然寵愛の説教臭さは宮崎オリジナルではかなりソフトである、と言うか面と向かってズシリとくるテーマは無い(全く無い訳ではないよ、でもテーマを規範とした脚本作りではない:と、思う)コレは素直に、いい大人がノスタルジックに浸れるとても善いヒーリングムービーである。

で、「魔女の宅急便」宮崎オリジナルではなく原作ありきの作品、どうにも中途半端である、本来はキキが意気消沈してウルスラを訪ねキキとウルスラの対話でキキが成長する。と言う場面で終りだったんだそうだ、だが、如何せんそれでは盛り上がりに欠けるのでクライマックスの飛行船救出劇が加えられたんだそうだ・・・・・
どっちやねん?原作は(読んでないが;)キキの成長が多分主軸だろう、だったら本来終りにしようとしたところで物語りは十分飽和している、そこにエンタメ志向のヘンなクライマックスを付けちゃったから何処がクライマックスだか判らない?確かに最後の飛行船のクライマックスはクライマックス然としているが、物語の主軸から考えると余計なモノ以外の何者でもないのでチグハグ感が拭えない、この作品のキモはキキが傷つき、思い悩み挫折して、魔法使いと言う身でありながらスーパーマンではなく人並みに(物語中魔女はスーパーマン的扱いではなく自然に存在するんだが)悩んで、色んな人の助けを借りながらも一人前(を目指して)成長していく!事である。うぴーが一番印象に残っているのは最後の救出劇ではなくパイをお届けした先での女の子の対応にショックを受け傷つくところである、本来のラストである山小屋?でのキキとウルスラの対話までは本当によく出来ている。あそこで終りにすればヨカッタのに・・・・・

さて、前回の解釈では多少イイ事も書いたかもしれないが現在の考察では論外の「もののけ姫/千と千尋の神隠し」コレは「紅の豚」とは別の本当の論外な作品だ。多分ジブリ作品でなかったらケチョンケチョンに貶しているだろう(いや今から貶すんだが・・・)
確かに技術は素晴らしいんだろう、きっと、そう見える、確かに、でも、ダメ!観客はお金を払って楽しみに行くのである、お金を払ってまで説教を聞きに行きたいのではないのだ!それではまるで新興宗教ではないか!?(う~ん、ジブリ教/宮崎教なのかもしれない)

実を言うと「ナウシカ」も原作はカナリ説教臭い連載が途中止まったりしてかなり長期連載になったらしいが、途中からはダルダルで最後?のチャプターは要らん(爆
風呂敷を広げすぎて収拾がつかなくなったというよりも、終末が決まってなかったんだろうね?で、アレもコレも試してみたけど書けば書くほど収集つかなくてもう泥沼状態・・・・・
終始一貫したテーマ!と言うかコレはもう宮崎さんの一生のテーマなんでしょうね(今ここでは書かないが)この「ナウシカ」をマトモに原作通りに映画にしていたらタマラなかっただろう、っつぅ~か2時間前後で収まる訳無いし、アレ程の秀作にはなりえなかっただろう。
ハリウッド映画の様に表現テクニックにばかり注力して例え持て囃されたとしても後世に残る作品に成り得ない事が往々にしてある事は周知の事実、後世に残る映画はやはり脚本や演出がキモ!
映画では序章だけに絞り(映画製作時に原作がまだ終わってなかったんだっけかな?)キリのいいトコロで完結させた脚本/演出が素晴らしかった!モチロン画も独特でキレイだけど
要は一生懸命創った感じ、テーマはモチロンあるがソレを観客に押し付ける事無く丁寧に丁寧に「いいモノ」を【観てもらおう】と思って創ったんでしょうね?多分。

で、思いの外?異常にウれてしまった!
ので「いい方向に」調子に乗っちゃったのが「ラピュタ」だな。「観て見て!こぉ~んなにオモシロイのつくっちゃったんだよぉ!リキ入ってるヨォ!観て!見て!」ってナ感じ。
でコレがオモシロイんだからしょうがない!

で、調子に乗りすぎちゃったカナ?なんて思ったかどうかは知らないが?ちょっと落ち着いて「トトロ」なんぞを・・・・・・・

それじゃぁ、他人の原作でもやってみるか?と「魔女」
多分「魔女」は宮崎さん本人も納得行ってないと思います、でも既に「ジブリブランド」のブランド力はカッコたるものを築いてしまっていますから何故か?ウケがいいです。客も入ります。

じゃぁ、好きにやらせてよ!と冒険に出た「豚」
「やりすぎちゃったね」と釘を挿されちゃいました・・・・

でも自分のやりたい事やっちゃったんで気になりません。

そして時間と労力をかけて「もののけ」を創ります。久し振りだし、ジブリだし、巨匠宮崎だし・・・
小手先作業では許されません。
TVシリーズ製作時代から温め続けてきた「永遠のテーマ」をコレでもか!と心血を注いで創りました!「ほぉら!観てみろ!スゴイだろ!」・・・・・・・・・
そうです、ココが「観て下さい」から「観てみろ!」の分岐点です。(本当は明確にこの時点ではないのだが、作品区切りで言うとココ)

本人は満足だったんでしょうかね?賞もイロイロ獲りました、海外にも進出しました「プゥリンセス・ゥオブゥ・ものぉのけぇ」ケッ!
絆されていい気になったんでしょう?「もう監督しません」なんて宣言して裏方/サポートに周ろうとしました・・・・・やっぱ「監督」が一番いいよな!と思ったかどうか?それともやっぱり「もののけ」は最良の出来ではなかったのか?

復活宣言をして「千と千尋」を撮ります・・・・・
「な、な、いいだろ?こぉ~ゆぅ~トコ突いてくるんだよなぁ、オレは、でね、ちゃんと道徳的テーマを唄ってるんだよ!ワカルぅ?」
もう、なんだか観客は上から見下ろされちゃってます・・・・・

なんだかなぁ、もう・・・・・

ジブリだぁ、宮崎だぁ、巨匠だぁ、と持て囃されて、世間様もジブリだぁ、宮崎だぁ、巨匠だぁ、と踊らされて・・・・
「自分はエライ」と思っちゃったんでしょうね。製作側だって「ジブリの宮崎」って看板は安全パイだもの、好き勝手にやらせてくれる(そりゃ制約に感じるところはあるんだろうけどね、本人は)

「もののけ」のメイキングかなんかで宮崎さんがアシタカの動きに注文をつけてる所があります、肘の角度がどうのこうのとか腰の角度がどうのこうのトカ・・・・
素人目には違いなんて判りませんでした、いい加減でもいいじゃん!と言うのではありません、素人目には「そんなトコまでこだわってるのかぁ」と感心する人もいるでしょう、それが大半でしょう・・・・
でもね、違うんですよ!
ディティールや動き、細部の設定にコダワルのをダメとは言いませんが、お客さんは【映画】を観たいのであって(だよな?)走ってる時のアシタカの肘の角度なんてどうでもいいんですよ、そのコダワリがストーリー展開上、演出上必要である!のなら幾らコダワッてくれてもいいですよ、でもねぇ・・・・そうじゃないでしょう!と・・・・・

こんな感じ方は天邪鬼でしょうか?
でも、実際「ジブリ/宮崎」でなかったらアレだけ売れたのだろうか?(もののけ&千)

上記までに宮崎作品のテーマとして「自然寵愛」と書いてきたが、書き易いように単語にしただけであってうぴーは言いたいうぴー的宮崎テーマとは、単語から感じる単純?な意味とはチト異なる。
では一体何なんだ!?

コ難しい風に書いてみると・・・
【物質文明主義の繁栄と暴走、それに伴う世界的崩壊、その後生き残った人達の自然共存的生活と物質文明に固執する旧世代及び権力階級との対立】
そんなトコだろうか?
実際は原作アリきの作品だが演出初期のTVシリーズ「未来少年コナン」からだろうか?宮崎氏が掲げるテーマそのものである、実際自己の提唱するテーマにこの原作が合致したからか?この作品を手掛けた事でこのテーマが普遍的な自己のテーマになったのか?案外後者かもしれない、それ以前から各種作品にスタッフとして参加しているが演出と言う点で乗り出したのは「コナン」が最初ではなかろうか?
いや、原案脚本第1作は「コナン」の大分前、「パンダコパンダ」を手掛けてはいるがうぴーは未観なのでその辺の繋がりは判りません・・・(汗

兎に角、その後の宮崎演出作品は全てこの「コナン」から派生していると言う持論は極論ではあるが「当らずとも遠からじ」だと思う。(注:豚と魔女は除く)

必ずしも(と言うか)宮崎演出ではないがスタッフとして参加している作品はクォリティが高く秀作が多い!東映動画時代の劇場版アニメは名作揃いだ「太陽の王子ホルスの大冒険」「長靴をはいた猫」「空飛ぶゆうれい船」等々・・
その後のTVシリーズモノへの関与も名作揃い【カルピス名作劇場】では「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「あらいぐまラスカル」「赤毛のアン」等々・・・(ちなみに、コレ等は「カルピス名作劇場」である、後年「花王名作劇場」になったが、オンタイムは「カルピス」である!!!)

演出ではないにしろ、このワークスは宮崎氏にとって恵まれた作品群である。当然この間にイロイロ勉強になったんだろう?多分?
で、「コナン」で花開く!「パンダコパンダ」も一部では盛況?だったらしいが一般的に名が通ったのは「コナン」である、まぁ、「コナン」もマニア間で大盛況!放映当時はまだ広く一般的ではなかったのではないか?放映がNHKと言うのもいい意味でも悪い意味でも影響しただろう?でも、マニアでない一般にも「コナン」がウケたのは間違いない!
ちなみにまだこの頃は「宮崎駿」ではなく「照樹 務(テルキツトム)」と言うペンネームを使っている、増版の「コナン」は「宮崎ブランド」だが旧版の「コナン」は「照樹」記載である、増版の「コナン」は観た事は無いが各話のエンドクレジットの演出は「照樹 務」の筈だ、?増版バージョンはクレジットも変たような話しも聞いた気もするが・・・?
*コレを書いた後にNHKで「未来少年コナン」の再放送が始った、エンドクレジットは「宮崎駿」だった・・・・

「ジブリ考」と言いながらジブリ創設以前の話で終始してしまった、コレでは「宮崎考」ではないか!と言うツッコミは無視して続けよう(爆

で、何なんだ!と・・・・
「ナウシカ」は良くも悪くもそれまでのアニメ?然とした作りである?アニメだぁ、実写だぁと括るつもりもないのだが、要は旧態然とした手法(演出)であり画のオリジナリティ以外にさして目新しいモノはない(脚本はそれはオリジナルですが)

ここで言うオリジナリティとは「宮崎色」と言う意味。
モチロン、ココで言う所の「自然寵愛」テーマがバリバリではありますが、見せる脚本としては観客を喜ばせるに足りる脚色がなされ、ある意味「言いたい事」よりも「ウケ」る為に「削らざるをえない所は削る」と言う良くも悪くも「商業主義」が垣間見られます、この後も「商業主義的手法」は出てきますが、「ナウシカ」の場合、ある意味【第1弾】ですから(実際はジブリ1弾ではない)絶対にハズす訳にはいかないんです!!!
主義主張は通しながらも興行的にウレなければ後が無い、ギリギリの鬩ぎ合いがあった事でしょう。しかし「ナウシカ」に措いてはコレが大成功になります。「判り易い?ストーリー」「高いクォリティ」「宮崎氏のセンス」・・・・
時期もよかった?アニメブームの一端を担っている「ナウシカ」ではあります、「ナウシカ」でアニメ作品に対する一般の評価が変わった事も事実です、只、「ナウシカ」によって評価がUPした事はある程度認めますが、時期的にアニメ熱が上がってきた時期である事も事実、「オタク」と呼ばれる人種が台頭してきて良くも悪くも「アニメ」が世間的関心事であった時期である、多少なりとも感心が無いところで「ナウシカ」がポッと出たら「アニオタ」だけが盛り上がっていたカモしれないのである。
(実際、「幻魔大戦」はアニオタにはウケた、評価も高かった筈だが先進的過ぎて世には受け入れられなかった・・・・)

兎に角結果的に「ナウシカ」はウレた、評価も高く今となっては日本のアニメの分岐点に位置するアニメの代表格である!

で、「ラピュタ」でもまだこの精神が生き残っている、如何にして観客を惹き付けるか!どうやって観客を喜ばせようか!「どうだスゴイだろ!」の「スゴイ」には「オモシロイだろ!」の語気が強い!「スゴイだろ!」と言うだけの事はある、「人間は台地を離れては生きられないのよ!」とシータの激白に宮崎テーマも盛り込まれているがアソコのシーンは最高の盛り上がりではない、モチロン全編通してうぴー的語句の「自然寵愛」がテーマではあるが、観客は「娯楽大活劇」として「ラピュタ」を楽しんだのではないだろうか?「娯楽大活劇スペクタクル」として観覧しているとあのシータの激白シーンは理解こそすれ観客には2の次!「あぁ、そうなんですか」程度である、「だからぁ?」と一瞬ダレ気味になる所を引き伸ばさずその後のラピュタの崩壊やドーラ一家の顛末を直ぐに持って来たので観客はダレずに済んだ、もっと言えばラピュタ到着後のシータとパズーの行動描写もちとダレるが、ムスカや将軍の到着、ドーラ一家の逮捕劇ムスカの変容とストーリー的に畳み掛ける展開に突入するのである意味いい緩衝材的シーンになっている、結果的にいい緩急で観る物を飽きさせないんだが、宮崎氏的にはもっとラピュタの中央宮殿?お墓?のシーンでもっと語りたかったのではないだろうか?

で、「トトロ」である、実際「トトロ」で宮崎氏は何を撮りたかったのだろうか?只単純に「古きよき時代」を描写したかったのか?深い深いテーマがあるのか?うぴーにはまだワカラン・・・・・
でも「いい作品」である事に間違いは無い「古きよき時代」をノスタルジックに感じる事も出来る。社の楠?(アレ何の樹だっけ?)を象徴とすれば「自然寵愛」もテーマなんだろうが、ほかの作品ほど説教じみた演出はなされていない。製作当初から併映作品の位置付けが決まっていたのだろうか?いい意味で気を抜いた軽い作品である(読者の皆さんには御幣があるかもしれないが、あくまでもうぴー的考察なので・・・)

そして、「魔女」「豚」を経て集大成の「もののけ姫」に突入する!
「豚」でこんな勝手をやってもジブリ/宮崎ブランドでウレる!と確信を得たのか?(かなり穿った考えだが)
もうやりたい放題である!マジで宮崎さんはコレをやりたかったんだろう!観客に媚を売らず自分の表現したいテーマを前面に打ち出す!技術的向上にも手を出す、「どうだ!スゴイだろ!」である。
「もののけ」には「ラピュタ」の時のように「スゴイだろ」には「オモシロイだろ」の語気は含まれない、自己満足しか伺えないのである。
そして、と言うか何と言うか登場人物のほぼ全員が観客に「説教を垂れる」のである、方向性は違えど皆平和や安泰を願っている、その中で夫々の思惑の中で対立が生まれる!というのは良くある展開だが、そんなものは説明してくれなくても展開でワカルのに、観客の想像力をナメてるのか?
テーマが重いから?
だったら軽くするか?それに見合った演出をしなさいよ!テーかが重い事自体は悪いとは言わない、監督が言いたい事を言うのも当たり前っちゅやぁ当たり前だ。作品的にも「もののけ」は秀作だと思う。
では何故うぴー的ランキングでは評価が悪いのか?
それは「利己的作品」を「商業的」かのように見せた宣伝商法である。ジブリ/宮崎ブランドを前面に出し・・・・・・・・
実際「もののけ」はコレっぽっちも「オモシロ」くはない!ひたすら重い!ジブリ/宮崎ブランドでなかったらアレだけのクォリティでも絶対ウレる作品ではない!(おぉ、断言しちゃったよ・・・)
ジブリブランドが無ければ小学校低学年児童が映画館には来なかっただろう?海外の映画祭で賞を獲ったのはある程度頷ける部分もあるが?
そりゃ海外ではウケるだろう!ジブリブランドはある程度は浸透しているであろうが一般公開は「初」と言う事は、外人さんのパンピーには宮崎モノは初めて?な訳だし、舞台背景がエキゾチックである!観るもの全てとは言わないが、クォリティは確かに高い「もののけ」だ!重いテーマも意外と斬新かもしれない、少なくとも「日本のジブリかぶれ」とは期待するものが違う筈だ!

では「日本のジブリかぶれ」は何を期待したか?では「日本のジブリかぶれ」は何を期待したか?

乱暴に一言で言えば「トトロ」である。宮崎/ジブリ=トトロなのである。キャッチコピーが「生きろ」だろうが、ポスターの登場人物の衣装が着物?であろうが、サンの口に血糊が付いていようが、犬神の形相が怖かろうが・・・・・「トトロ」を期待していたのである。
技術的進歩も宣伝された、宮崎氏の意気込みもコレでもかっ!と宣伝された、観客は「物凄いハイレベルの【トトロ】」を期待したのだ!
モチロン、ストーリー展開等もちゃんと宣伝されてはいるのだが前面に押し出されているのは「ジブリの宮崎、渾身の作!」である。ストーリ展開やテーマの重さをちゃんと知っていたら、いくらジブリとは言えアレほど多くの「ガキ」が劇場に来る筈が無い!

うぴーの映画に対する価値基準は「面白い」かどうかである。
「面白い」にもイロイロ意味はある、文字通り面白いのはモチロン、感動作も同じ範疇であるし、期を衒った一発逆転も在り(但し2番煎じはダメ)その基準から行くと「もののけ」は確かに「スゴイ」が、「面白い」か?と聞かれるとYesとは言えない、かく言ううぴーだって「日本のジブリかぶれ」である、期待していたのはハイレベルの「ラピュタ」である!期待の大きさが反発して大きなマイナス要素になっている事も否定はしない、だが、それを差し引いてもうぴーの価値基準から言えば「もののけ」は「面白い」作品ではない・・・・・・・・・・

「千と千尋の神隠し」
「もののけ」で辞めとけばよかったのに・・・・・・・
初見のうぴーの正直な感想である、どうしても順位をつけろ!と言われれば「もののけ」よりは上であるが大して変わらない、作品単体を偏見無しで観れば(観れたとして・・・)作品的には「もののけ」が上である(難しいね)

「千」は今までの宮崎作品とはチト違う・・・・あえて言えば「魔女」寄りである
?????????
ワカルかな?

「千と千尋の神隠し」での宮崎氏の挑戦?
等と書いたら大袈裟だろうか?意識しているのかしていないのか?うぴー的考察ではこの「千」で宮崎氏は最も苦手とするものを描こうとしている。
それは
「人の成長」である。

「魔女の宅急便」でもキキの精神的成長がテーマである、でもソレは他の人の原作がそうであって宮崎氏のオリジナルではない、しかも、クライマックスの飛行船救出劇を入れた事によりテーマを貫けずに折角の出来を悪くしてしまっている。

で、「千」では「千尋」の成長を描きたかった訳だ・・・・・
で、やっぱり失敗している・・・・・

人任せで責任感が無く何事にも意欲が湧かない現代の若者のステレオタイプの様な少女を主人公にし、その少女が神々の國に迷い込み「働かざる者喰うべからず」をキーポイントに挨拶だ、礼儀だを織り交ぜながら、(モチロン河川の汚染をモチーフに自然寵愛のテーマも忘れずに)最終的には千尋が立派な?少女に変身していく・・・・
と、もっともらしい解説はアチコチで散見されるだろう。

はてさて、映画を観終わって「千尋が成長した」と感じた方はおいでだろうか?上記の様な説明が成されれば「確かにそうなのかもしれない」程度ではなかろうか?
この映画を観て千尋に感情移入出来た人はどれだけいるだろうか?うぴーが男だから?じゃぁ、お聞きしたい女の子、かつて女の子だった女子諸君(爆
千尋に感情移入できましたか?
百歩譲って感情移入出来たとしよう、でも、じゃぁ、最後にカタルシス(達成感)は獲られましたか?
そう「千」には達成感/爽快感が無いんです、そぉゆぅ映画は沢山あります。日常を延々と映し大きな事は何も起きずに静かに終わる、で、何だったの?ってパターンの映画は好き嫌いが分かれますが確かにあるし、少ない訳でもない、そぅいった作品の中に何がなんだか判らないけど「感動した」とか「ヨカッタ」作品も少なくありません、しかし「千」はその「ヨカッタ」作品の中には入れません・・・・・・
少なくとも、千尋の成長を軸に感動できる作品ではありません。(また断定しちゃったよ)

何もかもが半端です。そこかしこに上手に伏線は張ってあるんですが「だから何?」的なモノばかり本当は銭婆の家に向かう不思議な電車での移動のシーンでジックリ感傷に浸って欲しかったんでしょう?多分?でもソレまでに千尋には感情移入出来ないし、何がどう成長したのかもハッキリしないし伝わってこない、なので製作側の意図が浸透せずにあのシーンは只只、怠惰にしか感じない、その後の展開も時間が無かったのか予定調和まで説明も無しに一直線、全く観客を無視した演出です。

宮崎作品はキャラの魅力も作品の魅力の大きな一因である、だが、千では一体どのキャラが・・・・カオナシ?釜ジイ?ハク?湯婆?湯バード?誰もキャラが成立していない・・・全てが中途半端だ・・・・・
1回30分でTVシリーズにすればもっとアチコチ細かく描けたし、秀作になっていたんではなかろうか??????

大体が、千尋は何も困ってないモン、必ず救いの手が差伸べられ思い悩む事が無い、ある選択において重要な過ちを犯すわけでもなくダメダメな子の筈(が成長するというストーリーであるならば、だが)の千尋は適宜最適な選択をする、時間の関係もあるのだろうが観客に感情移入できるだけのドジもしなければ窮地に追いやられる訳でもない、勝手に困っているだけならまだしも結局は周りに迷惑をかけていたりもする・・・・・・・

何も無いのだったらもっと何も、本当に何も無かった方が返ってヨカッタのかもしれない・・・まっ、その辺は演出が難しいですけど・・・
結局、千尋の成長と言うのは結果論、コンセプトだけで映画を観ている限りではコチラに何も伝わってこない、これではダメダメである。

ほかの作品でもそうである、宮崎氏は人間、個人を描く事が出来ない?のか敢えてしないのか?ナマジ異国情緒溢れる普通ではない世界が舞台なので(トトロは除く)突飛な設定も違和感無く受け入れられるが、そこに現代人のステレオタイプをはめ込んだ所で(まぁ、千尋以外はその世界観の人間しか描かれない訳だが)ちゃんと描いてくれなければ、感情移入もクソもあったモンではない!

そのうえ、お説教までされたんでは・・・・・・・
個人の内面を描ききれないなら世界観のスケールやディティール、脚本の上手さで思いっきりその世界に引きずり込んでくれれば誰彼に感情移入できなくても第三者的視点で楽しめるのに・・・「ナウシカ」やラピュタ」の様に・・・・・

さぁさぁ、散々コキ下ろしてきてしまいましたねぇ・・・・・
いい事も書かないと・・・でも、書けるかなぁ???

主人公・・・・
宮崎氏は「人を描けない」等と大胆な発言をしてしまいましたが、各作品の主人公は一体誰なのか?を検証!

「風の谷のナウシカ」:そりゃ・ナウシカでしょう。
でもね、やはりと言うかナウシカは立派過ぎるんですね、だから主人公であるナウシカに観客は感情移入することが出来ない、トラブルは超人的技能/才能で切り抜けちゃうし、悩みもするけど崇高すぎてパンピーを寄せ付けない。
「主人公に感情移入出来ない」事が悪い!とは言いません。現に「ナウシカ」は秀作ですし・・・・・・

「天空の城ラピュタ」:コレ微妙なんですね、シータだと思います?いえ、違うんですね、実はパズーです。
人物の描かれ方からすると突飛な状況に措かれて右往左往するのはシータではなくパズーなんです。ナウシカ同様シータは立派過ぎます、自分の素性を知らないが為に一見巻き込まれ型の主人公に見えますがシータ自体はストーリーの中で別に成長する訳でもなんでもありません、どちらかと言えば相手を巻き込むトラブルメーカーです。
ではパズーに感情移入できるのか?と問われれば、微妙ではありますが可能です、宮崎作品の中で唯一感情移入できるキャラです。
惜しむらくはパズーのお父さんの描写です、もう少しお父さんの話を絡めてもヨカッタのではないか?と・・・展開上時間が無くて描ききれなかったのかもしれませんが、上手に演出出来れば「龍の巣」に飛び込む時に見えるお父さんの後姿がもっとグッと来る筈です。あの時パズーは何と叫んでいたんでしょう?その辺の描写はもしかしたらお父さんの描写が完成前(構想時?)にはあったのかもしれませんね。

「となりのトトロ」:コレはそう、メイちゃんです。
上手に描かれています、当然といえば当然ですが展開上メイちゃんだけを描く訳にも行かず、ちとツメが甘い感もあります。ともすれば感情移入出来たキャラなんだけど如何せん若すぎる(爆)し、最後の迷子のシーンでは迷子の途中のメイちゃんが描かれていません!ココかなりイタイです。迷子になっている最中のメイちゃんの描写があればもっとよかったと思います。時間的にも足せたんじゃないかな?

「魔女の宅急便」:そりゃ、キキですよ!
何度も言いますが感情移入できる唯一のキャラです(さっきパズーだけって言ったじゃん・・・・)
でも、これ原作ありきの作品です、原作がそうなんだからそのまま描けば当然キキに行き着くわけですよ、コレは宮崎氏の功績では無いんです。
だからこそ最後の飛行船救出劇は悪行以上の何物でも無いんです。
実は「ウルスラ」も影の主人公です、そこまで判っていたんだと思います、だから声優さんもキキとウルスラは同じ人は声をあてています。
あぁ、惜しい、惜しい、飛行船救出劇さえ無ければ・・・・・・・・・

「紅の豚」:豚ではありません・・・・
飛行機が主人公です、しかも飛んでる飛行機が主人公です。ストーリーは取って付けたような物です、それでいいんです、そぉゆぅのを作りたかったんです、きっと・・・・・・

「もののけ姫」:コレ難しいですね・・・・・
ある意味みんな主人公ですが、間違えないように、サンでは決してありません。サンは完全に脇役です成長もしなければ活躍もしません、タイトルにまでなってはいるけれども、キーマンではあるかもしれないけれども、主人公ではありません。
では、アシタカか?と問われればそれも違います、アシタカは傍観者?です、物語りを語り継ぐもの?とでも言いましょうか?事のストーリーを順を追って案内してくれている人に過ぎません。

では誰が?実はエボシ様だったりします!!!!!!
何でそうなるの?と問われても、他に考え様がありません。
宮崎テーマに則って言えばエボシ様は近代物質志向の象徴になります、そう自然破壊?を省みない最新技術の製鉄所(タタラ場)を統括する人物です。それに対抗する自然派代表のモロやサンが主人公か?とも思えますが描写がステレオタイプで深くありません、言ってる事は今まで宮崎キャラが言っていた事と同じだし、キャラ自体は深く掘り下げられていません、要はキャラは立っていなくて只の代弁者なんです。

サンやアシタカに比べエボシ様は意外とちゃんと人物像が描かれています、この作品では物質的近代志向を「悪」とはみなしていません、百歩譲って「悪」であるかもしれないけども「必要悪」と言うトコロか?なにもかもが自然のままがいいか?と問われればそれはどうだろう?と完全自然寵愛の立場から一歩下がった視点で描かれている作品です、(おぉ、意外ともののけってイイ作品かもしれない)

勧善懲悪ストーリーの悪役の様な描かれ方ではない、信念を持って近代化を推し進める領主様?のエボシはタタラ場での信頼も厚く・・・・・とタタラ場では敬われている人だ、自然破壊をヨシとしている訳ではない(いいとも悪いとも言わない、言ったっけ?)が製鉄業が後の世には必要であるとの信念を持って生きている、タタラ場や仲間を守る為なら身を呈してでも押し通す!病気の仲間の事もケアするし、タタラ場のことは全て掌握している。指導者の鏡のようなエボシ様である。
只、結局は自分(含むタタラ場の仲間)の事を最優先にするが為にストーリ展開上、後半は「悪いヤツ」然とした描かれ方が強くなる、

惜しい、実に惜しい・・・・・
エボシ様だって何も好きで自然破壊をしているのではない、この世が次の世界に進むためには必要である物(ココでは「鉄」と言う事になるだろう)の為には、いや、世が進歩する為にはある種の犠牲も必要である!と言う事に気が付いているのである、モロやサンの立場で言えばエボシが「悪」であろう、、が、エボシから言わせればモロ、サンオットコヌシ、更にはシシ神等は旧態然とした保守派で進歩を拒むモノなのだ!
その辺の葛藤を主人公然とした、宮崎流でいえば?自然擁護派?のもののけ一派や傍観者である筈のアシタカに語らせてしまったから主人公が曖昧になる、今まで語った宮崎テーマで言えば「もののけ」はチト毛色が違う、コナンやナウシカ、ラピュタは繁栄した物質文明崩壊後の自然擁護物語である、が、「もののけ」は物質文明への移行途中の物語だ。その具現化したキャラとしてエボシ様がいる、どうしてエボシ様を主人公に出来なかったんだろう?既に物質文明にドップリ浸かっている現代人には自然のよさ?や自然破壊の愚かさは知っている、自然擁護を唄えば容易に賛同が得られる事は想像に難しくない、だが、この物語の登場人物達はまだ物質文明の繁栄と崩壊を経験していないのである、日本の戦国時代をモチーフにはしているが史実を描いているのではなくあくまでも空想の世界である、エボシ様よりのストーリーにすればもっと重厚な物語になったであろうに。

現代の価値観を持ち込むのが悪いとは言わないが只、只現代の自然擁護思想をぶちまけてサンやアシタカに語らせてしまった、結局はサン:自然擁護派=善、エボシ:急進派=悪、と決め付けた?観客にそう感じさせてしまった事により、いっそう説教感が強くなる、エボシ様もあんなんいイイ描き方をしてしまったから完全に「悪」に転化させる事も出来ず最後は宙ぶらりんだ、いっその事、志半ばで絶命なんてしたらもっと印象強かったカモ・・・・
中立派である筈のアシタカもモロvs.エボシの間を掻き回したに過ぎない、まぁ、ストーリーの緩急としてはアリな演出だが、どうにも目立ってるのか退いてるのか半端である、冒頭の「遠い東の村の出来事」自体は掴みとしてOKである、謎を解く為?の西への行脚もいいだろう、が、早々に語り部をジゴ坊に切換えエボシ主人公の物語にすれば「もののけ姫」も違った物語になったし、うぴーのランキングも上がったや!もしれん。

「千と千尋の神隠し」:そりゃ千尋なんでしょうねぇ、一応?
コレは「その3」で語っちゃいましたし・・・・・・
出来もしない事をやろうとして結局失敗しちゃったんで・・・・
これ以上責める気もしません、コンセプトはヨイと思うんですよ、只、底が浅いだけに「もののけ」よりも返って「説教」が厭味に感じたかもしれない、でもその説教も説得力無し・・・・・・・
「オクサレ様」のシークエンスをもっと広げればヨカッタのになぁ・・・
銭婆と湯婆の確執は要らんでしょ(っつぅ~か描かれてないし)
坊の成長も見所無し、実は傍観者/同行者である坊の成長は著しい!千尋なんか目じゃない!でも、ちゃんと描かれてないし・・・・・・
やっぱコレは(も?)各八百万の神々のエピソードで引っ張ってTVシリーズにすればヨカッタのかも、時間もあれば千尋の成長ももっと描けたでしょうに・・・・・・

おぃおぃ、まだ貶すのか?

さてさて、あまりにも貶(ケナ)しすぎました・・・・
どの作品もクォリティは高くいい作品なんですがね?どうなんでしょう?
散々「宮崎人物描画下手糞説」を唱えましたが、別にソレが悪い訳ではない、どの作品も優に水準点(何を持って基準にするのかは?だが)は超えていると思う、只、うぴー思うに新作毎に「面白味」に欠けていくのが残念だし危惧するところなのである。

新作「ハウルの???」(題名フルで知らん)はどうなるのか?
今の所うぴーには何の情報も無い、敢えて情報収集はしていない、どうせ屋根裏で賑わう事だろう(爆
が、既に危惧する事が・・・・・

「キムタク」だって・・・・・・・・・・・
何故にキムタク?????????????
僻んでる!と言われれば否定はしないが、どうだろう?キムタクの演技って巧いのか?キムタクがカッコイイとか、ある程度なんでもこなす能力/センス/努力がある、と言うのは素直に認めるが演技が巧いか?と問われれば決して誉められた演技ではない(と、思う)そりゃいいでしょうよ、単品単品なら、でも役者としては演技に幅が無く何を演らせても同じじゃないか?

しかも、今度はアニメだよ!声優だよ!
キムタクのあの滑舌はどうよ?顔や雰囲気に騙されるな!目をつぶって彼の演じるドラマでもなんでも見て(聴いて)ごらんよ!モゴモゴ言ってて何を言っているのかワカラナイじゃぁないか!!!声が通らないんだよ!
声優なんて出来るのか?

何を持って「キムタク採用」なのか?そんなに新作にマッチしているのか?100%とは言わないが「集客目当て」と言われてもしょうがなくないか???????現にキムタク採用ってだけで大ニュースだったじゃないか。
ジブリ/宮崎ブランドだけでも充分集客が望めるのに何故?

作品云々以前に集客狙いのキャスティング、宣伝、戦略を見せられると「ハウル・・・」も先が見えるぜ・・・なんて天邪鬼な考えに陥ってしまう。
うぴーはきっと劇場には行かないだろう・・・よっぽど作品に対する高い評価が上映中に聞こえてこない限り・・・

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ふと、気がついた・・・・・

似てる・・・・・何に?
ジョージだよ、ジョージ!スターウォーズだよ!

うぴー的講釈では制作第1作目の「新たなる旅立ち」がイチバン!(決して「特別編」ではないよ)
まぁ、旧3作終了後大分経ってから「ようやく自分のやりたい事に技術が追いついてきた」とかナントカ言って「特別編」を編集し、そして新シリーズを作り出した。確かに技術はスゴイ!が・・・・
内容も無ければ人物も描けていない只、只、CGや最新技術のオンパレード、「ジョージよ、最初のあの感動は何だったんだ?オマイさんはこんな事をやりたかったのか?」

そうなのだ、ジョージは正しく「こんなこと」をやりたかったのだ!旧3作も2作目3作目はメガホンこそとってはいないが、作品が進むにつれ無意味なキャラクターが増えストーリーは御座なりになっていった事を危惧していた・・・
そう、ジョージは「こんなこと」をやりたかったのだ!

スターウォーズを撮る時、本当はジョージはオリジナル脚本ではなくアメコミの「フラッシュゴードン」を撮りたかったんだそうだ、でも版権が高くて結局自分でオリジナル脚本を書かなければならなかった、後に「フラッシュゴードン」は別の監督が映画にするんだがまぁ、ソレは超駄作、クイーンの音楽だけが目立った作品だった、そう、でもそのフラッシュゴードンは正しくスターウォーズの2~3作目(旧)然とした不思議キャラが跋扈する痛快SFストーリーだ(今となっては発想がカナリ古臭いんだが、そもそも古いんだから・・・)

旧世代を知らない所謂エピソード1からの観客にどう受け入れられてるのかは定かではないが、少なくとも旧世代のスターウォーズキチガイからはお祭り程度の認識しか得られない新シリーズ、そうなのだ、ジョージは正しく「こんなこと」をやりたかったのだ!(しつこい?)

大物になって誰にも文句を言われず、本当にやりたい事をやれるようになって思いのタケをぶつけ、最新技術をコレでもかとテンコモリで・・・・あの程度・・・
ガワがゴくても中身が無い・・・そもそも中身を重厚に作り出す演出力があったのか?初心に帰って「もっと一生懸命」作ってくれよ(意気込み的にね)技術や思惑が思い通りに行かないからこそアノ作品が出来上がったのだよ!「必要は発明の母」って言うじゃん!

だから?今更エピソードⅢには何の期待もしていない、でも観に行くけどね・・・(爆

ジョージと同じ事が宮崎氏にも言えないだろうか?
「ナウシカ」や「ラピュタ」を作っていた時の「スゴイでしょ、面白いでしょ、観て!見て!」感が「ハウル・・・」で戻って来てくれるのか????(多分ジョージはエピソードⅢでその感覚は戻って来ないだろう)
ここまで散々コキ降ろしてきたが、期待してるんだぞ!宮崎/ジブリ!!!
「ハウル・・・」でオレを劇場に引きずり込んでくれ!!!!

ジブリ考がジョージ・ルーカスにまで及んでしまった、しかも「批評」ではなく殆どが「批判」だ・・・
折角だから更にこの二人?(二人の作品)に共通した事を最後に・・・

この二人の作品の夫々全てに関わり、只1点だけ初回の感動!クォリティーを保ちつつ素晴らしい仕事をし続けているスタッフが居る。

それは・・・・

コンポーザーだ、作曲者である。
宮崎モノには「久石 譲」スターウォーズには「ジョン・ウィリアムス」彼らは素晴らしい!物語の内容、演出がどんなにショボくても(まぁ、音楽も演出の一部なんだが)彼等の音楽はズバ抜けてスバラシイ!!!
うぴーの音源ライブラリがどんなに肥大しようとも彼等と小田和正は常にヘビーローテーションである。
映画がどんなに酷くてもサントラだけは必ず「買う」買わなくてもナントカなるとしても(謎)それでも「買う!」
彼等にだけは続けて賞賛を送り続けよう!そして彼等だけは期待を裏切らないで欲しいと願う・・・・


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チョコっと書くだけのつもりだったのが、思いの他長くなってしまった・・・
散々文句を言ったが、それだけうぴーもジブリ教/宮崎教信者なんだと痛感する(+スターウォーズキチガイ)
きっと「ハウル・・・」も観た後は(劇場か?DVDか?)ブチブチなにか書くんだろうなぁ・・・・・(爆

とりあえず【うぴー的ジブリ考:2004版】はこれにて

《 完 》

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